今シーズンはサッリ監督のもとセンターバックのレギュラーとして50試合に出場、3ゴールをマークしたダビド・ルイス。現在は世界的に有名なセンターバックとなりましたが、少年時代は多くの挫折を経験していたようです。
そこで今回はダビド・ルイスの生い立ちを振り返り、プロキャリアも含めて彼の人生を簡単に紹介していこうと思います。
ダビド・ルイスの生い立ち&プロキャリア
以下からはこれまでのダビド・ルイスについて「幼少期&ユース時代」「プロキャリア」の2部構成で紹介していきます。
それではまず「幼少期&ユース時代」から振り返っていきましょう。
幼少期&ユース時代
ダビド・ルイスは1987年4月22日にブラジルサンパウロ州のディアデマという地域で生まれました。ディアデマは、サンパウロの中心地から17Kmほど離れたところにあり、工業や医療が発達している地域なのだそうです。
このような地域で生まれ育ったダビド・ルイスですが、サッカーを始める前はカメラに夢中だったようです。
両親は教師をやっていて、母親のレジーナが小学校、父親のラディスラウは大学のスポーツコースの先生でした。両親が真面目な家庭ということもあって、ダビド・ルイスは不自由なく暮らせていました。
そんな中、父親がもともとアマチュアのサッカー選手だったということもあり、幼少期の頃からサッカーを始めます。
ちなみに現在パリ・サンジェルマンに所属するチアゴ・シウバは幼少期からの親友なのだそうです。
2人でよくユースチームの加入テストを受けに行っていたようですが、2人ともまだ体が小さかったためどこのチームにも受け入れられませんでした。
ユースチームの加入を断られながらも「将来は一緒のチームでプレー出来ればいいね」なんてことを語り合っていたのではないかな?と個人的に妄想しています。
そんな中ダビド・ルイスは、1999年にサンパウロFCの下部組織(U-13)へ加入することになります。サンパウロFCの下部組織には約2年間在籍しましたが、なかなか結果が残せず2001年(当時14歳)に戦力外というかたちでチームから追い出されてしまいました。
この経験は当時のダビド・ルイスにとって非常につらいものだったようです。
ですが、ダビド・ルイスはへこたれず次なる挑戦への準備を始めます。
それからすぐ、ブラジルバーイア州にあるECヴィトーリアのユースチームへと加入します。ECヴィトーリアがあるサルバードルという地域はサンパウロから約2000km離れたところにあり、ヴィトーリアのユースチームへ加入するにあたって、親元を離れることになりました。
ヴィトーリアではU-15、U-17、U-19と順調にステップアップを重ね、2005年にはトップチーム昇格を果たします。
プロキャリア
2005年にトップチーム昇格を果たしたダビド・ルイスは、2006年は1年を通してトップチームでプレーし、チームの昇格に貢献しました(ブラジル3部リーグから2部リーグへ)。
2006-07シーズンにはヴィトーリアでの活躍が認められ、ポルトガルの強豪SLベンフィカへの移籍が決定します。
ベンフィカでは、1~2年目は控えメンバーとしてそれほど出場機会に恵まれませんでしたが(1年目14試合、2年目13試合)、3年目の2008-09シーズンからは出場機会が増えます(28試合出場3ゴール)。そして2009-10シーズンには49試合に出場、3ゴールをマークし、主力としてベンフィカの国内リーグ&カップ戦制覇に大きく貢献しました。
ベンフィカでの活躍を受け、2011年1月には移籍金2500万ユーロでプレミアリーグの強豪チェルシーFCへの加入が決まります。
チェルシーでは2011-12シーズンから主力として活躍し、2012-13シーズンにはキャリアハイの公式戦57試合出場、7ゴールを記録しています。このシーズンではUEFAヨーロッパリーグ制覇に大きく貢献しています。ディフェンダーながら7得点も取るとは半端ない活躍ですね。
チェルシーではその後もう1シーズンプレーしますが、2013-14シーズンから監督に就任したジョゼ・モウリーニョのもとで出場機会をコンスタントに得られずに終わります(34試合出場)。
そんな中、2014年5月には移籍金4000万ポンドでパリ・サンジェルマンへと完全移籍を果たします。
この移籍はおそらく出場機会を求めたものだったと思います。パリ・サンジェルマンへと移籍した後、ダビド・ルイスはモウリーニョ監督について「僕にとってはスペシャルではない」とコメントしているので、このことから自身の起用方針に関するモウリーニョへの不満があったことが分かります。
また、移籍金4000万ポンドという高額なオファーがあった点についてもチェルシー側からして好条件だったことに間違いありません。
様々な事象がかみ合って成立した移籍になります。
ちなみにですが、パリ・サンジェルマンは幼少期に一緒にプロを目指したチアゴ・シウバがいるチームです。
幼少期に幾度となくユースチームへの加入を断られていた2人は長い年月をかけて同じチームで、しかもフランスの強豪パリ・サンジェルマンでともにプレーするまでになったわけです。サッカーって夢がありますよね。
そのパリ・サンジェルマンでは、センターバックのレギュラーとしてチアゴ・シウバとコンビを組み、在籍した約2年の間で89試合に出場し、8ゴールをマークしています。
パリ・サンジェルマンで2年プレーした後、2016年8月には再びチェルシーへの加入が決定します。
チェルシーでは2016-17シーズンにセンターバックのレギュラーとして38試合に出場、1ゴールをマーク。復帰初年度からそれなりの結果を収め、最終的にPFA年間ベストイレブン(イングランドでプレーする選手を対象としたベストイレブン)に選出されています。
チェルシー復帰後はうまくいっていたものの、続く2017-18シーズンに監督のコンテと衝突があり、以後出場機会が大幅に激減。クリステンセンにポジションを奪われてしまいます。
出場機会を得られないことで移籍の噂もちらほらと浮上していましたが、2018-19シーズンには監督がコンテからサッリに交代し、センターバックのレギュラーとして再び輝きを取り戻します。結果的に18-19シーズンは50試合に出場、3ゴールをマークしシーズンを終えています。守備の要として、また、攻撃の起点としてチームに大きく貢献したシーズンになりました。
まとめ
ダビド・ルイスは今やチェルシーで欠かせないセンターバックとなりました。しかし、ここまでの道のりは非常に険しく、簡単なものではなかったということが分かっていただけたと思います。
チアゴ・シウバとの仲の良さも幼少期の頃から変わりません。
ダビド・ルイスは個人的に好きな選手なので今回は簡単ではありますが、取り上げさせてもらいました。最後まで読んでいただきありがとうございます。