2018年夏、移籍金5740万ユーロ(58億円)でナポリからチェルシーへと移籍し、加入初年度はアンカーのポジションを務めたジョルジーニョ。ジョルジーニョのアンカー起用については賛否両論ありますが、サッリ監督の信頼は厚く今シーズンは公式戦で53試合に出場しています。
今や世界トップクラスのパサーとして名をはせる存在となりましたが、幼少期の頃は母子家庭で育ち、サッカーは母親から習っていたそうです。
今回はそんなジョルジーニョの生い立ち、これまでのキャリアを振り返りながら、彼の物語をまとめていこうと思います。
ジョルジーニョの生い立ち&キャリア
ここからはジョルジーニョの「幼少期」と「プロキャリア」の2つの構成でまとめていきます。それではまず「幼少期」から振り返っていきます。
幼少期
ジョルジーニョは1991年12月20日にブラジルのサンタカタリーナ州インビトューバという地域で生まれ、15年間はその地で育ちました。
ちなみにサンタカタリーナ州はブラジルの南部に位置する南大西洋に面したところでブラジル国内でも有名な海水浴場なのだそうです。観光客も多く訪れる場所でブラジルではリゾート地として知られています。
ジョルジーニョはこのような地域で生まれ育ったわけですが、両親はジョルジーニョが6歳の頃に離婚しています。離婚後は、母親のマリア・テレサさんが女手一つでジョルジーニョを育てることになりました。当時は生活が苦しかったようで母のマリアは清掃員として働き、稼いだお金でご飯を食べたり、ジョルジーニョにスパイクやサッカーボールを買い与えていました。
ちなみに母親のマリア・テレサさんはブラジルのアマチュアリーグでプレーしていたサッカー選手で「息子が生まれたらプロのサッカーリーグでプレーさせる」という夢があったそうです。そのためジョルジーニョは幼少期の頃に母親からサッカーを教わり、近くのビーチに連れられ砂浜で技術を磨きました。
【画像出典】https://www.facebook.com/jorginhofrellooficial/
その後ジョルジーニョはイタリア人による若手育成プラグラムに参加するため、地元のインビトューバから180kmほど離れたブルスケという地域に移動することになります。親元を離れるといった経験はまだ若かったジョルジーニョにとって非常に辛かったもので、今でも思い出すと悲しくなるのだそう。
ただ、この時の経験はジョルジーニョにとって価値があるものだったようです。
イタリアに移住してからはエラス・ヴェローナFC(2018-19シーズンはイタリア2部リーグ)のユースチームに加入することとなります。そこでU-16、U-18と着実にステップアップを重ねていき、2010年にトップチーム昇格を果たします。
ただ、エラス・ヴェローナと一番最初にかわした契約では代理人が27,000ポンド貰ったのに対し、ジョルジーニョには週給18ポンドしかもらえなかったそう。18ポンドは日本円で約2,500円ですので、1か月約1万円の給料しかもらえていなかったことになります。
この金額を考えますとおそらくクラブの方で食事や寝る場所は提供していたと思いますが、若手には厳しい世界ですね。ちなみにもらった給料では衛星用品を買ったり、家族との連絡に使ったりしていたそうです。
プロキャリア
2010-11シーズン、当時イタリアの4部チームだったサンボニファチェーゼにレンタル移籍します。ここからジョルジーニョのプロキャリアが始まりました。4部のチームながらも母親のマリア・テレサさんの夢がかなった瞬間でもあります。
結果的にこのシーズンは、31試合に出場し1ゴールをマークしています。
レンタルバックした2011-12シーズンはエラス・ヴェローナのトップチーム(当時イタリア2部リーグに在籍)で32試合に出場し2ゴールをマークしています。この時のジョルジーニョは20~21歳でしたが、シーズン終盤からレギュラーを掴みフルタイム出場する試合が多くなります。
続く2012-13シーズンは完全にレギュラーを勝ち取り、44試合に出場2ゴールをマークしています。このシーズンのエラス・ヴェローナはセリエBで2位になり、セリエA昇格に大きく貢献しました。
2014年冬にはセリエAへの昇格、さらにセリエAでの活躍(19試合7ゴール)が認められSSCナポリへの移籍が決まります。
【画像出典】https://www.facebook.com/jorginhofrellooficial/
そのナポリでは1年半の間、ラファエル・ベニテス監督のもとで出場時間に恵まれなかったのですが、サッリ監督が就任した2016-17シーズンからは主力として活躍します。2017-18シーズンはユベントスとの激しい首位争いが行われます。結果的には2位に終わりましたが、このシーズンでサッリ監督の信頼を勝ち取り、新たにアンカーのポジションで起用されるようになりました。
2018夏にはサッリ監督を追いかけるかたちでチェルシーへと移籍します。ちょうど同じ時期にマンチェスターシティへの加入が噂されていましたが、最終的に移籍金5740万ユーロでチェルシーが獲得することとなりました。
この頃にInstagramでアップされたジョルジーニョとマリア・テレサさんの動画がちょっぴり泣ける映像になっているので良かったら見てみてください。
どうやらこの時のマリア・テレサさんはどこに向かっているのか知らされていなかったみたいです。それで着いたところがチェルシーの公式ストアで、ジョルジーニョの背番号5のユニフォームが並んでいるところまで連れられ、そのユニフォームを見たところ感極まって涙が出てきたそう。
ジョルジーニョを女手一つで育てあげ、大変だったけど「サッカー選手にさせる」という夢を叶えてくれて、尚且つプレミアリーグの強豪チェルシーにまで移籍するくらいの存在になって。いろいろと、こみ上げてくるものがあったのだと思います。
見てるこちら側もなんだか泣けてくる映像ですよね。
まとめ
ジョルジーニョ物語いかがでしたでしょうか。
幼少期は経済的に貧しい環境で育ったジョルジーニョは、母親から習ったサッカーでプレミアリーグの強豪チェルシーのレギュラーを勝ち取る存在になりました。また、家族との絆が非常に固く、最後のInstagramの動画からもそれが読み取れると思います。
個人的に感動した選手ストーリーだったので取り上げさせてもらいました。最後まで読んでいただきありがとうございました。